
だっこ/目ヤニ/お煎餅/シュウマイ/
おかあさんごっこ/だんご/ハヤテ/天狗
ランドセル/朗読/
5才くらいの時に交通事故に遭いました。
自宅のまん前で、おかあちゃんの目の前で道に飛び出し、車にはねられたのです。
その記憶はほとんど無いですが、車で病院に運んでいる最中に、おとうちゃんが僕の名前を連呼しているのが、聞こえているのだけど返事ができない、という状態がなんとなく残っています。近くの病院に入院をしているときに、回りの人が話しをしている言葉が寝ている僕に聞こえてきました。その中に「そくし」と言う単語がありました。「即死」という意味が判らない僕は、何のことだろうと思ったのです。
少したっら、病院に幼稚園の同級生達からお見舞いの品が届きました。
みんなが銘々で折ってくれた折り紙です。
その中に天狗の折り紙がありました。初めて見た物でした。なぜかすごく不思議なくらい感心しました。その時の、天狗の折り紙に興味をもった自分の気持ちを、今でも覚えています。
ケガの方は、奇跡的にかすり傷だけで大したことはなかったのです。
物心ついた時には、隣のうちにハヤテという犬がいました。
うちの茶の間の大きな窓をあけると、そこがすぐ隣の庭で、ハヤテの犬小屋もそこにありました。
ハヤテは柴犬で、たぶん良い犬らしいのですが、窓越しに僕を見つけると思いっきり吠えました。ハヤテは庭に放し飼い状態で、うちの窓に飛び込んでくるんじゃないかと思うぐらい、勢い良く駆け寄って来て吠えるんです。
たまに、外で会ったりすると走って追いかけられ、僕は必死に逃げたものでした。他の人がハヤテを撫でたりして、仲良くしているのを見ると、信じられませんでした。
もしかしたら、記憶にない頃の僕が、小さい頃のハヤテをいじめたのかも知れませんが、覚えていないので”僕がハヤテにいじめられている”という意識しかありませんでした。
それが毎日の事なので、さすがに僕も犬を嫌いな子になっていました。
でも、隣に住むよしみとしては、いつかハヤテが吠えなくなり、僕と仲良くなって欲しいという願望もありました。
ある日、近くの川で遊んでいたら、古びた骨を沢山見つけました。
まさか、人骨ではないでしょうが、今思うとちょっと気持ち悪いですが子供の僕はそんなことは思いもせず、犬は骨が好き=これをハヤテにあげれば喜ぶ=僕を好きになる。
の方程式が成立し、あるだけかき集め、家に持ち帰りました。泥まみれの骨を、きれいに水で洗いました。
そして、いよいよです。 茶の間の窓を開け、仲良くなるきっかけ作りの始まり。
いつものように吠えまくるハヤテに、拾ってきた骨を投げつける僕。
ワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワン2つ3つと、そしてあるだけ、投げる僕。
ワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワン全然食べ無いじゃないか。
ワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワンワン作戦は失敗に終わりました。
思いっきり吠えてるだけのハヤテと、その回りに散らばっている骨を見て、ボーゼンとする僕がそこにいました。今でも、犬はけっこう苦手‥‥‥
僕の行っていた保恵幼稚園では、時間の合図に鐘を鳴らしていました。
女の先生が”カラン、カラン、カラン”と。
お昼の時間や、授業(とは言わなかったけど)の始まりや、終わりの合図で。今で言うチャイムですね。ある日僕と友達の二人は、休み時間に園庭のはじで土のだんごを作っていました。
まるくして、表面を濡らしたり、乾いたらこすって艶を出したり。良く出来たら、自慢したりして。もう、夢中でした。ふと気が付くと回りには誰もいません。広ーい園庭に、僕と友達のふたりきり。他の園児も先生も誰もいません。
そう、だんご遊びに熱中して、部屋に入る鐘の合図が聞こえなかったのです。僕は、”時間に遅れた”という罪の意識がその時感じました。
それから、どう部屋に戻ったかどうかはわかりません。ただ、いつもは賑わっている園庭が、ガラーンと不気味なほど静まりかえっている”広さ”を今でも覚えている。
幼稚園に通っている頃のお遊びで、一番覚えているのは「おかあさんごっこ」。定番ですよね。
砂場で、葉っぱのお皿にのせるのは、石や土のごちそう。みそ汁は砂。それらを並べての疑似家庭体験。要するにおままごと。人気があったのは、主役の「おかあさん」。でも、何故だか僕はあまりおかあさん役をやらせてもらえなかった気がする。おとなしい子で、主張出来なかったのだと思う。
だけど、みんなの気を引きたい、みんなに好かれたい。誰もが思うのと同じ気持ちでした。
そこで、僕がした行動は、砂のみそ汁をホントに食べちゃうこと。「いただきま〜す」
( ジャリジャリジャリ・・・・ ゴクン。 )みんなは感心することしきり。そんなふうにして、存在感をアピールする僕。
その、砂場での光景と、口の中の砂の感触は忘れられない。
僕が4才の時に、妹が生まれました。
電車が通るたびにガタガタ揺れる4帖半の貸し部屋で僕が生まれたのに対し、妹は駅のそばの産婦人科での誕生でした。
我が家の大ニュースなんでしょう。僕は、お父ちゃんに連れられて病院に行きました。
そこで目に焼き付いているのが、皿に載ってるシュウマイ。
お母ちゃんの食事の残りと思われるそれは、すごく美味しく見えて、お母ちゃんに聞いてみた。
いつもは厳しくて、こわいお母ちゃんだけど 「食べていいよ」と、優しい返事。出産のため、ベッドに横たわっている母親の姿で、今日はおこられないな、と本能で感じたのかも知れません。
僕は喜んで食べた。産まれたばかりの妹の姿を見たかどうかは、全く覚えていない。もちろん兄になったという意識が、あったかどうかも全然わかりません。
僕は今も、シュウマイが大好きです。
うちは自営の仕事をしていて、昔は大きいお兄さんやお姉さんが大勢一緒に住み込みでいたんです。
たぶん、4、5才の頃だと思います。みんなでどこかの公園にお花見に行きました。そこには、大きな池があって、ボート乗り場がありました。少し歩くと、当時の大スター橋幸夫の家があって、みんなでその門の前ではしゃいでました。
そのうちに、いつのまにか僕の周りには誰もいなくなっていた。 そう、迷子というのでしょうか、みんなとはぐれてしまったんですねえ。
ワーワー泣きながら、さっきまで遊んでいた場所に戻ってみたり、橋幸夫の門に行ってみたりしていた。
そんな僕を救ってくれたのは、池のボート乗り場のおじさんでした。
泣いている僕をあやしながら、2枚の煎餅をくれたのです。
1枚はしょう油味の、もう1枚は、甘い味のもの。そう、白か緑の砂糖のような色の付いている煎餅。そのおじさんの顔は覚えていないけど、2枚のお煎餅は、はっきりと覚えている。
そのうちに、お姉さん達が池沿いの道を走ってきた。大きく手を振りながら、笑顔で走ってきた。その光景が今でもはっきりと目に浮かぶ。
(その公園は、杉並区にある「善光寺公園」だと大人になってわかった。)
その後、その公園に行ったことはないけれど、いつか行ってみようと思う。
そのボート乗り場を見つけると、どういう自分になるんだろう・・・・
小さい頃僕は、目ヤニがすごく多くて、寝て起きると、それがまるで糊のようにべっとりと目を覆い、すぐには目が開きません。カチカチに固まった時なんかは、このまま目が開かないんじゃないかと思ってしまいます。
そんな僕を、おかあちゃんは、仕事で忙しいのに、毎日毎日硼酸(ホウサン)で洗ってくれるんです。
お湯を沸かして湯飲み茶碗で硼酸を溶き、フウフウ冷ましながら脱脂綿で目のまわりを拭いてくれます。
水だと冷たいし、消毒の力が弱いのかも知れません。初めは熱湯に近い湯で溶いて、かき混ぜながらだんだん冷まして、顔につけて少し熱いくらいがちょうど良いみたいです。だから脱脂綿は割り箸でつまみます。
割り箸が時々肌に触れたりします。何回も拭いて、お湯が冷たくなったらおしまいです。いつもボーっとして眠いうちに洗ってくれるものだから、終わったときには目も覚めてしまいます。
今でも普通に少しは目ヤニが出ますが、だからと言って、あまりその時の頃を思い出したりしません。
僕にとって一番古い記憶がこれ。
生まれて1歳になる少し前まで、国鉄の線路脇の4,5帖半の貸し部屋に、一家三人住んでいました。
生まれた所も、病院なんかではなく、その部屋です。ある時、赤ん坊の僕は虫の居所が悪いのか、お腹がすいたのか、夜遅くまで元気に泣いて全然寝ようとしませんでした。
見かねたおとうちゃんは、僕を抱っこしてくれて、外に散歩に出かけてくれました。当時だと大きな道のうちに入るのだろうか、黒く舗装された道沿いに、寝静まったかのようにひっそりと連なる近所の家並みが続いていた。
その時の暗さが今でも目に浮かぶ。まるでモノクロ映画のワンシーンのように。